うろおぼえ立ち読み雑記

週間漫画雑誌等を立ち読みして、気になる作品についてのレビューなどをメインにしていますが、最近は買っているマンガのレビューの方が多いかな。マンガ以外の趣味の話もあります。

1月17日か・・・。

今週から早番なので、朝4時過ぎ起床。いつも通りに起きて身支度を整え、夜の
うちに車に積もった雪を払って4:50に出発。積雪、目測で約15cmくらいかな?
除雪されていない早朝の道を、町内に向かって車を走らせる。1台だけ、通過した轍
があり、それを目安に新雪の道を走行する。雪を踏みしめるギュッ!という音の断続音
が、車内のFMやエアコンの音の狭間で聴こえてくる。

町内にゆくと、いくらか除雪されてはいるが、車通りの少ない脇道は約5cm程度の雪
が積もっている。川崎の場外船券売り場脇の峠を越えて、村田方面に行けば雪も減って
大した事ないだろう~などと考えていたら、村田~槻木~槻木大橋(阿武隈川)~亘理
といった全行程で積雪があった。珍しい。

阿武隈川を越えての積雪なんて、あまり見ないから少し驚いた。早番のこの早朝の通勤
時間帯に運が悪いと、法定速度遵守の大型トラックにかちあう。約50km/h前後の
速度で走り、今日のような積雪のある日などは40km/h走行の鈍行運転なのは確実。

案の定、村田のファミマが角にある交差点から先の信号付近で、件のトラックの後方に
追いついてしまった。走行中の路面はややシャーベット状が固まりかけるか、もしくは
黒光りするアスファルトの凍結路面。対向車線も同様で、この路面状況でハンドルを
切ってアクセルを踏み込んで追い越しをかける度胸はなかった。

足元を滑らせて、左右に踊り、トラックに接触しては大変だ。そう判断したので、やむ
なく、そのトラックの45km/h走行に付き合って、後ろについて走った。進路がほぼ
同じなのは以前から知っていたので、亘理小中学校前に出る道路の脇道に入るまで甘んじ
て、ノロノロ走行につきあった。

国道6号線を横断するため、感応式信号機のところで停車。時間が5:46でした。積雪と、
遅いトラックの後ろについて走行したので、普段より10分ぐらい遅れていました。工場の
敷地内駐車場に辿り着いたのが、5:50ぐらい。始業は6:10なので間に合いますが、
自分としてはいつも通りではないのでがっかりしています。

作業着に着替えて、休憩所にゆくことなく、直接ラインに向かい、日報に日付を記入しよう
として、携帯を取り出して日付を確認すると・・・

「あ・・・1月17日なんだ・・・」

と、思わず声が出てしまいました。

地震発生時刻って、5時・・・44分?46分?48分だったかなぁ・・・などと思いつつ、
アナログ時計で言うと大体6時15分前よりちょっと進んでたような記憶があったような?

同僚と挨拶を交わし、思わず阪神淡路大震災の話題をふってみました。

「実はあの時神戸に住んでいて、僕も被災した人間なんですよ・・・」

などと話をふり、たわいもないやりとりをして、

「あの時もそういえば、失業者でしたね」

「震災にあって人生が狂ったとか?」という返しに、

「そうですね・・・いや、もともと震災以前から『こんなはずではなかった!』と思って
 いましたから、震災の影響はあまりないかもしれません」

お互い苦笑します。

「そういえば、宮城県沖海洋地震が来る、来るとか言っておきながら、全然おきないですね」

と話をふられ、返した言葉が・・・

「多分、大地震きますよ。県北でも地すべりでダムが埋まる地震があったじゃないですか。
 オレが宮城県に住んでいるうちに宮城沖大地震はきますよ!!」

と、根拠のない話を取り出してお互いが苦笑い、失笑しました。




うん。県北であれほどの地震があったのに、県南の人間の反応はこんなもんです。
神戸もしかり。神戸近隣でも、西区、北区は被害が少ないですから、震災の印象は薄い
と思います。ましてや明石市、加古川市などの東播、西播地区などもそうです。芦屋、
西宮、尼崎、宝塚辺りでは武庫川を境にして被害は違いますし、三木市、三田市は離れ
ているので被害も少ないでしょう。

東灘区辺りに住んでいたので、潰れた家屋、倒壊したマンション、落ちた鉄道高架線路、
歪んだ線路から倒れた阪神電車石屋川車庫付近、鉄道が寸断されたのは痛かったな。
最寄りの駅が阪神御影駅か、JR六甲駅、もしくは阪急御影だったけれど、西にも東にも
行けない状況はひどかった。普段は阪急、JR、阪神の3本の鉄道を選んで利用できた
けれど、あの時の東灘区の自分の住んでいる所は、陸の孤島でしたね。

後々新聞等で知ることだけれども、自分の周辺区域でも大勢の人が倒壊家屋の下敷きに
なったり、家具に挟まれて死亡した人達がいたのです。幸い火事にはあわなかったけれ
ども、災害での死傷者は年齢性別関係はありません。

近所のアパートでは生後半年~8ヶ月の赤ん坊や、神戸大学の学生も数人死亡しています。
若い人達の死はなんともやりきれません。悲しく、悔しい災害でした。

震災直後からしばらく、自分自身の精神状態もおかしかったような気がします。
多分、他人には見られたくないところでおかしくなっていました。
狂っていたと思います。

でも、家族には知られないように、何かに打ち込む事で気を紛らわせていました。

崩れた本棚を解体し、採寸、切断してカラーボックスを作ったり、徒歩や自転車で近所
を散策して、開いている店舗や、道路状況、被害の実態把握のために彷徨しました。
カメラを向けるのは躊躇われたので、カメラを持って彷徨ったのは3ヵ月後ぐらいでしたね。

色々と思い出します。

あの地震の直後、寝る前に観たテレビ映画、何をしていたか、切り取られているように、
その記憶がクッキリ残っています。

随分昔の事なのに、脳裏に焼きついています。










一生忘れないのでしょう・・・。



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テーマ:地震・天災・自然災害 - ジャンル:ニュース

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