うろおぼえ立ち読み雑記

週間漫画雑誌等を立ち読みして、気になる作品についてのレビューなどをメインにしていますが、最近は買っているマンガのレビューの方が多いかな。マンガ以外の趣味の話もあります。

「DEATH NOTE~ THE LAST NAME」映画レビュー~浜村淳モード全開

以下、メールでのやりとり・・・。
「DEATH NOTEを観てきたよ。面白かった。云々」私よりも積極的に映画、コンサート、
ライヴ等々によく出かける妹にあてたメールである。


数時間後(妹は神戸在住・・・『神戸在住』のマンガ家が、以前短編読みきりでだした『巨娘』が隔月連載!『月刊アフタヌーン1月号』に登場!かなり面白い!こ~いう作品が好きだな。巻頭カラーは『ラブやん』・・・今回はまだアレな話ではなくてホッとする)にメールの着信音で起こされる。
土曜日の14時49分くらいだ。(ねたのは朝の3時過ぎ・・・都合約半日は寝ていますね。起きて夕方からスタッドレスタイアを買いに大河原に行きます。タイア履き替え作業の間に、朝昼吹っ飛ばしていきなりの夕飯。よし牛でスキ鍋定食を頼みます。スキ鍋を全部飯にノッケテ、汁、卵ものせて紅ショウガを加えると・・・『牛丼』ですわ。それ食って『ガスト』でコーヒー飲みながら久しぶりの読書・・・)



妹からの返信をみる。

「わからん。マジ興味無い世界。

おたくワールドですな。

ゆえに、理解しあえる仲間も多いのでは?

コニャちゃんによろしく」


うむ・・・マニア、オタクではない妹、身内からの返信メールである。

彼女からみても、客観的にみても、兄貴は「オタク」であるらしい。

「オタクかな・・・?」とは思ってはいるが、それほどではないと思っていた。

でもこういうあつかいを受けるのはチョッとショックだった。



「DEATH NOTE」ファンはこういうふうにも見られています。


・・・仲間がみていますよね、このブログ・・・。

ちなみに文中の「コニャちゃん」は家の猫の名前です。
別に私が所有している特定のフィギアに対する名称ではありません。
誤解のないように・・・。
それから、自分の持ち物に名前を付ける習慣はありませんので念のため・・・。


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コニャちゃんです。よろしく。

それでは浜村淳モードでいきますか・・・。

これから映画を観る予定のかた、DVD購入予定、もしくはレンタルされるのを待つタイプのかたはこれから先には入らないように・・・。





まずこの作品を観終わって思ったコトは、
もう一回観たい。いや、DVDを購入してつぶさに観てみたいと思ったという事・・・。
ラストシーンの夜神親子が薄く積もった雪の降る駅前商店街を歩くシーン・・・夜の東京タワーの周囲を飛び回るリュークの羽根音・・・。

そしてエンドロールが始まり流れるレッチリの「スノウ」が掛かったとき、僕は思わず組んでいた腕をくずして拍手した。
パチパチと三回ほどだけれど・・・。
しかし、劇場内の雰囲気はそんなムードのカケラもなく不満の声も聞こえたような気もする。

やっぱり不満なのか?最終的にはライトもエルもデスノートによって、死に至るわけなのだが、
ライトの死に方は原作通りなのだが、エルの死に方は映画オリジナルの死に方であった。
映画の死に方はまさに死ぬ事を大前提とした死に方なので、
ファンによっては「映画版のエルは死んでほしくなかった」という意見もありそうだが、
僕は「エルの死」によってこの映画は完成したなと感じたので、これでよかった。

僕が「DEATH NOTE」を後輩から勧められて、連載を読み始めた頃には倉庫に集められて、ライトが告白するシーンからだった。
「そうさ・・・僕がキラだ」
という邪悪な眼をしたライトが背中越しにみせる表情にギクリとしたものだ。


そこからの数週間のジャンプはつぶさに読んでいたが、「?」である。
当たり前だ。ここに至る過程を知らないのだから、キャラの名前もわかっていないし、区別もついていない。
何が面白いのかも勿論わからない。しかし、わずか数週間の連載をみただけでも、
ストーリーの組み立てや展開がハラハラドキドキの内容ゆえに、
これはコミックスで最初から読まなくては、この作品を理解できないし、面白さもわからないままで終わってしまう。
そう思った僕は、コミックスを最初から購入して読み進めた。

途中、話の内容が重くて嫌になりかけたけれど、なんとか最終巻にたどりつき読了した。

「ワクワクドキドキで、次の展開が楽しみだ!」という気持ちにはなれず、コミックスを買ったはいいが二週間放置・・・みたいなコトもざらにあり、どうにかこうにか12巻に至った理由のひとつは・・・、
「エルの死」だった。
コミックス1巻目からして僕はライト側の気持ちにはなれず、どうしても総一郎やエルの側にたって物語りをみていた。

もちろん夜神総一郎の死もショックだった。

原作では「死神の目」を受け入れつつも、結局デスノートに名前を最後まで書けなかった総一郎は凶弾によって殺されてしまったのだが、
映画版ではライトがミサの前でデスノートに父親の名前を書くライトに、恐れ、悲しみ、泣いてしまう・・・。

どうみても、こんなことが正義とは思えない。原作と同じように、自分の立場(キラの立場)を守るための保守的で、エゴイスティックな行動につきうごかされている未成熟な子供みたいな行為だ。

デスノートを使って人を殺すことに痛みを感じるのは最初の2~3人だけで、あとは習慣や義務のように、仕事をこなすがごとく名前を書くだけでヒトが死んでいく。

これは暴力以上に暴力的で、ネットやTVというマスコミという媒体を利用したゲーム殺人のどこに正義があるのか。
死刑囚や殺人者未満のヒトを虫のように殺すことが正義のなせるわざなのか。

犯罪率が減少し、例え70%も犯罪が減ったとしても、その成果として得られる世界は
「謎の死にたいする恐怖に怯えた世界」であり、
癒される「平和な世界」では決してありえないのだ。

「犯罪が減少するのであれば、キラを肯定しようじゃないか」
という大衆の意見も、
「正義の殺人」ととらえることも、マスコミが扇動しているようでいて、
実はマスコミの責任だけではなく、
「自分の意志」を放棄した無責任な人達の意見、主張のような側面もみえる。
「もし自分に、その能力やアイテム(デスノート)があれば使ってみたいか?」
という質問があると、「使ってみたい」というヒトは多いらしい。
(あるマンガ関係のブログでは、『4~5人はデスノートで葬りたいヒトがいる』という意見もある。いいのか?)


自由に自分の気持ち次第で、殺しのアイテムや能力を使って、ヒトを死にいたらしめて殺し、
「××するやつは死ぬよ」とやる手口は独裁者による恐怖政治と同質のモノなのではないか?
そこに人間として疑問を抱かないか?


映画版の夜神総一郎は死なず、ライトがキラであることを知ってしまい、
苦悩しつつもライトに説く台詞もなかなかであった。


う~む。ウイスキーを(黒角)ロックで飲みながら、バーっと陽気にザクザクとネタバラシしながら書くつもりだったのだが、
ちょっと真面目モードが「ゴバッ!」とでてしまった。

云いたいコトが云えたかどうかは怪しいけれど・・・、次回こそは陽気な展開で語りたいと思います。

朝方・・・ロックで5杯ほどですが・・・ねむくなりました。


あっ!と「GANTZ」の総集編購入しまして、半分くらい読みました。
この作品・・・また色々と考えてしまいましたが、玄野君の思考が10代的でナイスでした(笑)
あと・・・恵ちゃんのチチ・・・でかくて垂れ過ぎではないか?
もうちょっと・・・こう・・・おさまりのいいカタチの方が絵的にもよかないか?
あんまりでか過ぎるのもなんだかなあ~。絵的にみてもバランスが悪いと思うのです。

巨乳好きのかたには申し訳ないけれど・・・そう思いました。

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テーマ:DEATH NOTE 後編 - ジャンル:映画

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